岩月先生という人は
こんにちはHimaです。
父親と母親との関係、人間関係、恋愛・結婚などについて、私の長い間のテーマで
ここに鋭く問うてくる岩月 謙司先生(元香川大学教授)の著書を
愛読してます。
今は手に入らない絶版の20年以上も以前の著書ですが、
現在でも心に沁みる、いや現在でも通用するスゴイ本なのです。
そして、本当にいい本なんですよね~しみじみと
今回は「幸せな結婚をしたいあなたへ」という本の文庫本のあとがきです。
「幸福な人を見て、自分もああなりたいと努力するのではなく、 幸福な人を引きずり降ろすことに情熱をかけてしまう人が増えている」
著者がこれまで書いた約25冊の著書の中で、一貫して言い続けて来たことは
人間関係の基本は「人の幸福を願い、人の不幸を悲しむこと」だということです。
全て、人と人との関係は、互いに幸せを願い合うと、
「私もうれしい、あなたもうれしい」という関係になります。
楽しい人間関係です。
人が人を求める理由がこれです。
だからこそ、人間関係を楽しめないと、人は悩み始めるのです。
幸福を願う、というのは、具体的には、相手の悦びに共感する、ということです。
人の悦びを我がことのように悦び合うことが愛であり、
励ましであり、存在の肯定です。
人は、励まし合い、そして存在を認め合うことで安心する動物です。
特に子どもはそうです。
母に共感されることを通して、自分が受容された承認(支持)されたと
安心するのです。
赤ちゃんの頃、親に幸福を願われた人は、
自然に人の幸福を願う人になっていきます。
しかし、逆も真なりで、
親に幸せを願われなかった子は、
自分が親になったとき、
子どもの幸福を願うことはできません。
人の幸福を願うことのできない人は、
人の幸福に嫉妬する人です。
つまり、「人の不幸を願い、人の幸福に嫉妬する」
こういう人は、ふだんどういう行動をするのでしょうか。
それは、自分よりも幸福な人を見ても、
自分もあんなふうになりたいと努力することをせず、
幸福な人を引きずり降ろそうとするのです。
「あなただけ幸福なのは許せない!」と考えてしまうのです。
腹いせ、当てつけ的な行為が多いのはそのためです。
今の時代、学生ばかりではなく、多くの人がこうなっています。
無意識にやっているから気がつかないのです。
その証拠に、人の不幸を見た時、
「かわいそうに」と相手の心の痛みに共感するのではなく、
まず、「ザマーミロ」という感情がわいてきます。
自分よりも不幸な人を見ると快感すら感じてしまうのです。
そして、自分の優位を確認してから安っぽい同情を始めるのです。
自分の優位を感じないと、安心できないし、
親切にする気がおきないのです。
キーパーソンは親
なぜ、多くの人がこんなふうになってしまったのでしょうか。
キーパーソンは親です。
子育ての最中に、子どもに八つ当たりしたり、
理不尽に子どもを責めたり、子どもの幸福に嫉妬したりしたのです。
そうやって期せずして子供の存在を否定したのです。
愛とは反対の行為です。
親に否定された子は深い傷を負います。
そして、いつも誰かに責められ、否定されているような
気がしてくるようになります。
人から愛をもらいたいのに、この人も自分を責めるのではないか、
傷つけるのではないか、裏切るのではないかと疑ってしまうのです。
疑うと、そのように見えてきます。
せっかく親切にされても愛は受け取れません。
だから感謝や尊敬、尊重ができなくなっているのです。
人の幸福を願えるのは幸福に生きている人だけ
なぜ、多くの親は子どもに愛を与えることができないのでしょうか。
それは、親自身が幸福でないからです。
人の幸福を願うことができるのは、
幸福に生きている人だけです。
不幸な親は、我が子にさえ嫉妬することが多いのです。
我が子の幸福を妨害することすらあります。
それは、不幸な人ほど、自分が不幸であることを認めないからです。
幸福な我が子を見ていると、なぜかイライラしてくるのです。
次の瞬間、「あなたも不幸になればいいのよ」と考えてしまうのです。
こういう人は、自分よりもちょっと不幸な人を見ると、
友達になりたがります。
我が子であっても同じです。
自分よりもちょっと不幸な状態でいてほしいのです。
これが親の”七がけ幸福論”です。
自分よりも不幸な人がそばにいると、
自分が不幸であることを感じずに済むからです。
不幸な母親は、自分よりもちょっと不幸な娘をはべらすことが
自分の心を安定させる唯一の材料になってしまうのです。
だから必死で娘の足を引っ張るのです。
この世で一番怖いのは人の嫉妬です
根底にあるのは人の幸福に対する嫉妬です。
嫉妬ほど怖いものはありません。
この世で一番怖いのは人の嫉妬です。
しかし、困ったことに、自分の不幸を認めない人は、
自分が嫉妬していることも認めない人です。
嫉妬のために人をおとしいれようとしている自分を
自覚することもできません。
また、こういう人は、人の親切がイヤミに見えることがあります。
だから、思いやりに感謝するどころか、
あだで返してしまうことになるのです。
それでも、罪の意識はなく、自分は正義で行動していると
信じ込んでいます。
そんな親が増えているのです。
世代を経るごとにひどくなります。
人は、想像以上に親の影響を受けているのです。
特に3歳以前です。
”三つ子の魂百までも”といいますが、文字通り、
三つ子の精神状態のまま生きてしまうのです。
3歳以前の出来事なので記憶はありませんが、
しっかりと影響を受けるのです。
人が人を愛する行為は自然の法則そのもの
本来、人は、悦びを動機として行動する動物です。
不快を避け、快を求めるのが動物の行動の大原則です。
人間行動学という考えに立ってみると、
悦びのために生きることは自然の法則そのものだと、
岩月先生は言います。
人が人を愛する行為は自然の法則そのものです。
だから誇りをもつこともできます。
しかし、怒りが動機で行動すると、
自然の法則に逆らうことをしてしまいがちです。
誇りをもつことはできません。
自分のしていることが自然の法則に合致しているかどうかを
見分けるには、誇りがもてることをしているかどうかで
判断できます。
人を判断するときも同じく、
相手の動機が悦びか怒りかを見れば、
相手を信用していいかどうかわかります。
愛や励ましや思いやりが社会から失われた時、
その文明は滅びます。
不自然な行為をする国は滅ぶのです。
文明の終焉というのは、ローマ帝国に限らず、似ています。
ワイロの横行や性風俗の乱れ、そして労働意欲の低下です。
愛が無くて心の絆を作れなかった夫婦は、夫婦関係が崩壊します。
夫婦関係が崩壊すると家庭が崩壊します。
家庭が崩壊すると社会組織が崩壊します。
労働意欲が低下するからです。
社会組織の崩壊は国家の崩壊を招きます。
社会は、互いが互いの人の幸福を願う心で成り立っています。
つまり、夫婦が愛し合うことで成り立っているのです。
親が子どもの悦びに共感することで成り立っているのです。
人の幸せを願う心こそ人と人とを調和させ、
そして社会組織を維持する魔法のクスリなのです。
引用:幸せな結婚をしたいあなたへ 岩月謙司 著者 新潮文庫出版より
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